Jean Michel Basquiat | STORIES

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1980年代のアートシーンに彗星のごとく現れたジャン=ミシェル・バスキア。 わずか10年の活動期間に、新たな具象表現的な要素を採り入れた3,000点を超すドローイングと1,000点以上の絵画作品を残しました。その作品は、彼自身の短い人生を物語るかのように、非常に強烈なエネルギーであふれているだけでなく、20世紀のモダニズム美術の流れを踏まえ、ジャズやヒップホップ、アフリカの民俗や人種問題など、黒人画家ならではの主題を扱っています。そのため、没後ますます名声が上昇し、今や20世紀美術最大の巨匠の一人として確固たる地位を占めるにいたりました。

1960

1985

“Papa, I will be very, very famous one day.”

パパ、僕はきっと、すっごく有名になるよ。

1960

ハイチ出身の父とプエルトリコ出身の母の間に生まれる。

1968

ストリートでボール遊びをしてるときに自動車事故に遭う。重傷を負い 1ヶ月入院するが、入院中に母から受け取った解剖学図はのちに彼の アートに大きな影響を与える。

1976

ブルックリンの高校から、アートの才能がある問題児のための専 門学校 City-As-Schoolへ転向する。親友の卒業式で訓辞中の校 長先生にシェービングクリームを投げつけるなど、いくつかのトラ ブルを巻き起こし、最終的に中退する。

1978

父親の理解(あるいは諦めて)の上、実家から独立する。ハンドメイドのポストカードとTシャツを売ってわずかな生活費を 稼いでいた。

1981

バスキアについての最初の記事が掲載される。

1982

アメリカで初の個展を開き大成功を収める。ほかにもイタリア スイス、オランダなどで出展する。

1983

バスキアは、アンディ・ウォーホルが所有するビルに移動し、以 降このスタジオが仕事場であり生活の場となる。ウォーホルと一 緒に仕事をし、人生や芸術の哲学について定期的に語り合ってい る。

1985

ニューヨークタイムズの表紙に登場する。

1985

薬物過剰摂取によりスタジオ(57 Great Jones Street)で死 亡しているのが発見される。享年27歳。